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田畑昇人のFXブログ

【書評】個性を捨てろ!型にはまれ!

書評   

個性を捨てろ!型にはまれ!

個性を捨てろ! 型にはまれ! (だいわ文庫)
三田 紀房
大和書房
売り上げランキング: 22,873

この本は、漫画「ドラゴン桜」をもとにして、一流の社会人になるためにはなにが必要か、を教えてくれる本です。

「ドラゴン桜」の原作と同様、テンポ良く、かつ分かりやすく話が進んでいきます。

 

印象に残ったこと

・きみは「オンリーワン」じゃない!

社会はあなたの「オンリーワン」など求めていない。
求めているのは、ただのサムワンなのだ。

例えば、もしもある会社が「オンリーワン」の社員ばかり求めているとしたら、その会社には社員の数だけポストがあり、異なった役職があることになる。
そうすると、誰かが風邪で休んだだけで、その会社は機能しなくなってしまう。
勿論、退職なんてもってのほか。
「オンリーワン」の仕事を穴埋めできる人なんて、誰もいないのだ。

そんな機能不全を起こさないためにも、会社はぼんやりとした括りでの「サムワン」を求め、彼らに「他の人間でもできる仕事」を与える。
これは、会社に限った話ではなく、社会全体について言えることだ。

例えば、会計士や税理士といった資格も一つの「型」だ。
こうした「型」を持っていると、企業には「彼にはこれがこなせるんだな」と判断し、安心して採用することができる。
そして、もし彼らが退職してしまったら、同じ「型」を持った誰かを採用すればいい。
業務はそれでまわっていくのである。

すなわち、「オンリーワン」や「自分ならではの個性」にこだわっていたら、誰からも求められないまま、働く機会さえ失ってしまいかねないのだ。

 

・なぜ個人技だけの組織は弱いのか

2006年のサッカーワールドカップ・ドイツ大会。
僕は日本代表の対ブラジル戦を観戦するために、現地ドイツまで飛んだ。

この大会の日本代表は、とてつもなく期待が大きかった。
ユース時代から世界を相手に活躍していた、小野、高原、稲本ら「黄金時代」を要し、抜群のテクニックを持つ「ファンタジスタ」中村俊輔と、「世界のナカタ」こと中田英寿という豪華な司令塔を持つ、まさに史上最強のメンバーだった。

ところが、フタを開けてみると1分け2敗という惨憺たる成績。最低限の目標とされた決勝トーナメント進出がならなかったばかりではなく、1勝することさえできなかった。
あれだけの才能が集まったチームが、どうして1勝もできないまま終わってしまったのだろうか。

僕はやはり、ジーコ監督の戦略・戦術に問題があったのだと思う。
チームの指針として「自由」を掲げたジーコ監督は、ほとんど戦術らしい戦術を持たないまま本大会に突入し、選手自身の対応能力、イマジネーション能力にすべてを託した。
きっとこの才能溢れる選手たちなら、それが可能だと思ったのだろう。

しかし、ジーコ監督の「自由」は選手たちに困惑と迷いを引き起こしただけだった。
特に戦術を与えられなかったディフェンス陣の崩壊ぶりは、目を覆いたくなるほど悲惨だった。
ジーコ監督の「自由」は、完全な失敗だったのだ。

現地ドイツのスタジアムで、僕はそれを象徴するようなシーンを目の当たりにすることができた。
それは試合前のウォーミングアップ風景である。
フィールドにばらばらとやってきて、2人1組になってそれぞれ自分のペースで練習を始める日本代表の面々。
自由といえば自由だけど、そこからチームの結束を感じることは難しかった。

一方、ブラジル代表は全く違った。コーチやトレーナーがいて、選手全員に指示を送り、みんなが同じ練習をこなす。
あくまでも全体練習なのである。
あの個性派のオールスター集団でさえ、自由よりも規律が優先されていたのだ。
この試合前の練習風景を見ただけで、僕はジーコ監督の「自由」がどれだけ危なっかしいものであるか理解できたような気がした。

 

・組織は「型」があってこそ機能する

ジーコJAPANが誕生した時、マスコミはこぞって絶賛した。
前任のトルシエ監督はあまりにも「組織」至上主義で、選手を厳しく縛り付け、選手たちからも不満の声が聞かれていた。
さらに、中村俊輔選手のように戦術上の問題から選考されなかった優秀なプレーヤーもいた。
それに比べて「自由」を掲げ、オールスター軍団を結成したジーコ監督は、それこそブラジルのような強くて面白いサッカーを表現してくれるように思われたのだ。

ところが実際はどうだっただろう。
少なくとも僕がみた限りは、トルシエJAPANの方が戦術もはっきりしていてハイレベルだったし、観戦していて面白かった。
一度歯車がかみ合わなくなるとずっと修正できないまま試合を終えるジーコJAPANは、勝っても負けても成長が感じられなかった。

反面教師ではあるけれど、ジーコJAPANという壮大な実験ほど、日本人に「自由」の恐ろしさを教えてくれたものはなかったのではないだろうか。
特に組織プレーが必要とされるチームスポーツでは「自由」よりもずっと「型」が重要なのだ。

これはジーコJAPANだけではなく、野球でもまったく同じだ。
どれだけたくさんのホームランバッターを揃えても、それでは「打線」にならない。
俊足の一番バッター、技巧派の二番バッター、オールラウンダーの三番バッター、そして不動の四番打者、といった打線の「型」があってこそ、チームは機能する。
そして、監督の統率力やキャプテンのリーダーシップがあり、「これが俺たちの野球なんだ」というチームとしての意識が全員に浸透してこそ、強くなれる。
これら「型」がない個性派集団では、チームはばらばらになってしまうのだ。

実際、野球のワールドカップであるWBCで世界を制した王JAPANは、「スモールベースボール」というコンセプトの下、ホームランバッターを備えたオールスター軍団ではなく、俊足の技巧派バッターを集めたチーム編成だった。
勿論そこでは、「自由」よりも「型」が求められていた。

これまで、サッカーでも野球でも「日本人は体格的には外国人に負けてしまうから、組織力で勝負するしかない」と言われてきた。
組織プレーは、弱さの裏返しとして存在しているように思われていた。
しかし、それが大きな誤りだということに気付いたのではないだろうか。

実際、サッカーW杯のドイツ大会でベスト4に残ったのは、組織を重視するヨーロッパ勢ばかりだった。
そして優勝したのは堅く献身的なプレーで知られるイタリアだ。
そもそも「献身的なプレー」なんてものは、個人主義の中からは絶対に生まれない。
組織の中にしっかりとしたルールがあり、選手たちは勝手なプレーをせず、決められた自分の役割を果たす。
そんな共通認識があるからこそ、献身的になれるのだ。

組織とは「型」があってこそ機能するのだし、「型」がある方が強いのである。

・個性教育ができない簡単な理由

子供たちにゆとりと自由を与え、それぞれの個性を伸ばす教育をしていく。
これは大変高邁な理想だが、実際にそんなことなどできるわけがない。

担任の教師が受け持つクラスには40人程度の子供たちがいる。
40人といえば、ちょうどプロ野球の一軍登録選手と同じ数だ。
そして、日本のプロ野球は12球団。プロ野球の監督は、日本にたった12人しかいない。
精鋭中の精鋭なのだ。

しかし、そんな監督たちでさえ、一軍登録選手すべてに目を配り、それぞれに的確にアドバイスを送って個性を伸ばしていくことなどできない。
打撃コーチ、ピッチングコーチ、バッテリーコーチ、守備走塁コーチ、さらにはヘッドコーチなど、たくさんのコーチ陣のサポートを受けながら、どうにかチームをまとめているのである。
それなのに、エリートでもなんでもないごく普通の教師たちが、40人もの子供にどうやって向き合うことができるだろうか。
現状のまま40人全員の個性をそれぞれ伸ばしていくなんて不可能なのである。

だからこそ、学校は徹底した「型」の詰め込む場所であるべきなのである。

 

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